「少数民族」を意識しはじめたのは、台北の「故宮博物院」のすぐそばにある「順益台湾原住民博物館」を訪問してから(2010年6月ごろ〜)だった、と思う
そのときまで、「台湾」が「多民族(国家)」だ、ということも、よくわかっていなかった
とは言え、あまりに「観光化」され、「みせもの」のようになっている姿をみたいわけではない
(後日また写真を載せる予定)
バイク借りて、てきとうにすごすだけで、よかった(台湾の離島)
またあとで写真載せるつもり(思ってたより枚数すくなかった)
クタイシの街で、「入国許可証」をプリントアウトするのに、やや苦労した
(プリントアウトできるインターネットカフェをけっこう探し歩いた)
「アブハジア」の「印象」としては、「「ロシア(ソ連)」の「保養地」」
と言っても、そのときまでにロシア(ソ連)に行ったことがあったわけではなかったが(まだない)
「ソチ」がこんなところにあるのだということをそのときに知った
とは言え、山側ではなく、黒海沿い(のリゾート地(?))をみただけなので、そういう印象を持っただけなんじゃないか、とは思う
3泊しか滞在しなかったのだが、今思えば、もうすこしふみこんでいろいろなところをみる努力をしたらよかったかもしれない(宿泊や移動の自由がどの程度あるのか、いまいち把握しておらず、宿泊は(「首都」である)「スフミ」のみ、ロシア国境までは行ってみたが、基本海沿い、山側のエリアには行っていない)
写真を見返すと、あまりうまく撮れていなかった(次回以降載せるつもりではある)
「「アブハジア」に行ける(かもしれない)」と聞いたのは、ジョージア(グルジア)の首都トビリシの、とある「日本人宿」みたいなところでだった
(〜前略〜)イランからアルメニアを通って、トビリシまで来ていた
(例によって)たいしたプラン(情報)もないままに、イスファハン(イラン)で、アルメニア方面から来ていた日本人青年たちとすれちがったときに聞いた話をもとにして、アルメニアでは「ナゴルノ・カラバフ」にも行っていた。
そのときから「未承認国家」というものがある、ということを、すこし意識しだしていたんだろうな、と思う
「アブハジア」には、なんとなく、行けるとは思っていなかったので、トビリシの宿でその話を聞いてから、自分でもすこし調べはじめてみたら、どうやらほんとうに行けそうであることがわかってきた
「入国」に必要な手続きをカズベキで(と言ってもWEBでだが)して、返信を(あまり期待せずに)待ちながら、ジョージア内を移動していた
クタイシの「メディコとスリコの家」にいたときに、「入国許可証」(?)を手に入れることができた(メールを受信した)
グルジア(ジョージア)人である彼らには、複雑な思いもあるようだった(「なぜ行くのか」と聞かれたような記憶がある)
(アルメニア(ナゴルノ・カラバフ)と比較して)ジョージアにはあまり魅力を感じておらず、「アブハジア」への「入国日」をややシビアに設定していたこともあり、早々にジョージアを後にして、「アブハジア」へと向かうことになった